クラシック音楽について書くブログ

恋と放浪に生きた楽劇王、ワーグナー

投稿日時:2017-07-27 02:57:35

主にオペラの作曲で有名なドイツの作曲家ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー。ワーグナーは1813年、現在のドイツにザクセン王国に生まれました。血のつながった父とは生後間もなく死別していますが、その後母が再婚した義父は脚本家であり、音楽に親しんだ人であったことから、一家は多くの歌手や俳優を輩出する芸能一家となっています。ワーグナーも音楽の道に進み、後に「楽劇王」と称賛されるまでの、歌劇における最高峰の作曲家として音楽史に名を刻んでいます。

一見華々しく思える彼の人生ですが、成功を得るまではかなり波乱に満ちたものでした。ワーグナーの人生は恋と放浪でできているといっても過言ではないでしょう。23歳で女優である最初の妻ミンナと結婚をして、指揮者をしつつ各地を転々とした後、夜逃げ同様でパリへと移住。その後もなかなか売れず、ザクセンに戻って「リエンツイ」の成功によってようやく注目されます。、

しかし、1849年そいつ散月革命の革命運動に参加したことで運命は一転、指名手配されてしまい、恩赦が下りるまで9年間もの間亡命をせざるを得なくなります。その間も楽劇の作曲家として精力的に活動していたのですが、なんとパトロンの豪商ヴェーゼンドンクの夫人と不倫関係に。パトロンの夫人と恋仲になるなんて大胆不敵ですが、この時期に書かれた「トリスタンとイゾルデ」はワーグナーの作品の中でも屈指の名曲とされています。

不倫が発覚してヴェーゼンドンク夫人との恋に破れた後、ザクセンに戻ることになりますが、ここでワーグナーの音楽に心酔するバイエルンの国王ルートヴィヒ二世を後ろ盾を得て、音楽家としては安泰の道を進むことになるのっですが、ここでワーグナーは友人の作曲家リストの娘であり指揮者ビューローの妻、コジマとまたも不倫をしてしまいます。コジマも夫ビューローも、ワーグナーの信奉者でした。ビューローはコジマと離婚後、ワーグナーとは離れたとされていますが、信奉者であるがゆえにコジマとの不倫を容認していたとの説もあり、なかなか複雑な恋模様です。ワーグナーの代表作のひとつ「ニーベルンゲンの指輪」もこの時期のものです。

正妻ミンナが亡くなり、コジマがビューローと離婚した後、2人は再婚し、お互いを生涯の伴侶としました。運命の相手に巡り合うまで、放浪と道ならぬ恋を駆け抜けたのがワーグナーなのです。そんな彼も、最期は愛する妻に看取られて亡くなりました。

おすすめ